1974年から1975年にかけて起きた連続企業爆破事件。
事件に関与していると見られ、49年に渡り逃亡していた桐島聡容疑者の身柄が確保されました。
桐島聡容疑者とは一体どんな人物で、何をしたのでしょうか。
そこでこの記事では、
- 桐島聡容疑者の人物像
- 桐島聡容疑者が犯した犯罪の詳細
- 桐島容疑者が所属していた組織について
- なぜこのタイミングで自白したのか
- 時効は過ぎていないのか
以上の内容でまとめていきます。
それでは本題に入りましょう!
桐島聡のwikiプロフィール
今から50年ほど前の事件であったため、事件自体を知らない方も多いでしょう。
連続企業爆破事件の容疑者として指名手配されていた桐島聡容疑者の人物像について、まずはプロフィールから見ていきます。
- 名前:桐島聡(きりしま・さとし)
- 年齢:70歳
- 生年月日:1954年1月9日生まれ
- 出身地:広島県深安郡神辺町(現・福山市)
- 出身高校:広島県立尾道北高等学校卒業
- 出身大学:明治学院大学法学部
桐島聡容疑者について高校時代の同級生は、「政治的な発言はなかった」「目立たない真面目な印象」と証言しており、高校時代まではごく普通の少年だった様子が伺えます。
桐島聡は東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー
連続企業爆破事件は、日本の武闘派極左テロ集団・東アジア反日武装戦線というグループが起こした戦後類を見ない爆破テロ事件。
桐島聡容疑者はその中の「さそり」というグループのメンバーでした。
明治学院大学在学中に、同グループメンバーの黒川芳正や宇賀神寿一と出会い東アジア反日武装戦線に加入しています。
東アジア反日武装戦線は、アナキズム(国家や宗教など、一切の政治的権威と権力を否定し、自由な諸個人の同意のもとに、個人の自由が尊重される社会を理想とする思想)を柱に、反日やアイヌ革命論を主張していた組織。
「狼」「大地の牙」「さそり」の3グループで構成されていました。
桐島聡は何をした?
「さそり」に所属していた桐島聡容疑者は、1974年に「狼」が起こした三菱重工業東京本社ビルの爆破事件に続いて、75年に起きた銀座の韓国産業経済研究所爆破事件に関わったとされています。
事件後、次々と指名手配されていたメンバーが逮捕されていく中、唯一桐島聡容疑者だけは逃げ切り逃亡を続けていました。
韓国産業経済研究所爆破事件で爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていましたが、この韓国産業経済研究所爆破事件では、犯行時刻が真夜中であったためビルは無人で負傷者いませんでした。
しかし、この一連の爆破事件のきっかけとなった三菱重工業東京本社ビル爆破事件では、死者8人、負傷者376人という戦後最悪の爆破テロ事件と言われています。
- 三菱重工業
- 三井物産館
- 帝人中央研究所
- 大成建設
- 鹿島建設
- 間組韓国産業経済研究所
- オリエンタルメタル
- 京成江戸川橋工事現場
桐島聡の病名は末期胃癌 自白の理由は?
事件から50年近くの逃亡生活に自ら終止符を打った桐島聡容疑者はなぜ今になって自白したのでしょうか。
桐島聡容疑者は末期のがんで、現在は危篤状態という報道が出ています⬇︎
捜査関係者によると、男は末期の胃がんで以前から通院していたが、今月に入り、路上にうずくまっていたところを周囲の人に声をかけられ、急きょ入院が決まった。ここ数日で容体が悪化していて、現在、危篤の状態にあるという。
FNNプライムオンライン https://www.fnn.jp/articles/-/648980
桐島聡容疑者の病名は末期胃癌ということで、現在は会話ができる時とできない時があり重篤な状態となっています。
そんな桐島聡容疑者が今になって自白した理由については、
- 最期は本名で迎えたい
- 海外で逃亡していたが、最期は日本がよかった
こう語っていると報じられています。
病院に入院前は神奈川県内の土木会社で働いていたという情報で、海外での逃亡生活から日本に帰国して神奈川県内で潜伏していたと見られています。
桐島聡が入院している病院はどこ?
桐島聡容疑者が現在入院している病院は、神奈川県鎌倉市の病院に入院していると報じられておりどこの病院なのかSNSでも話題になっています。
報道では病院名は伏せられていますが、湘南鎌倉総合病院で間違いない様です。
時効は過ぎていないの?
約50年前の事件ではありますが、実は現在も時効は成立していません。
その理由は、東アジア反日武装戦線のメンバーである大道寺あや子容疑者らが海外にまだ逃亡中であるため、共犯である桐島聡容疑者も時効が停止されているためです。
しかし、現在の桐島聡容疑者の危篤状態の容態を考慮し逮捕せずに捜査を継続する方針と報じられています。
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