現在はイギリスのロンドンで息子さんとの生活を送りながら、アーティストとしての活動を続けている宇多田ヒカルさん。
歌手の藤圭子さんが母親だということは広く知られていますが父親は誰なのでしょうか。
噂には歌手の前川清さんが父親という説もある様です・・・。
そこでこの記事では宇多田ヒカルさんの父親についてまとめていきます!
宇多田ヒカルの父親は前川清説はデマ。本当の父親は?
宇多田ヒカルさんの父親について検索すると、「前川清」という検索候補が出てきます⬇︎
前川清さんは、1969年に『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビューし、30回近くも紅白歌合戦に出場した経歴を持つ昭和の人気歌手。
- 名前:前川清(まえかわ・きよし)
- 年齢:75歳(2024年1月現在)
- 生年月日:1948年8月19日
- 職業:歌手・タレント
結論から言うと宇多田ヒカルさんの父親は前川清さんではありません!
では、なぜ前川清さんが宇多田ヒカルさんの父親だという説が出ているのかというと、宇多田ヒカルさんの母親である歌手の藤圭子さんと前川清さんが結婚していた過去があるからです。
宇多田ヒカルさんの父親と藤圭子さんが結婚したのは1982年。
そして藤圭子さんと前川清さんはそれより前の1971年です。
共に歌手として人気絶頂だったタイミングで結婚しましたが、わずか1年ほどの結婚生活の末に、多忙を極めていたことでのすれ違いを理由に離婚しています。
平成の歌姫と言われた宇多田ヒカルさんの母親の元夫として、メディアでも宇多田ヒカルさんについて質問を受けることも多く、前川清さんが宇多田ヒカルさんの父親ではないかという説が一人歩きしている様ですね。
宇多田ヒカルさんが生まれたのは1983年で、前川清さんと藤圭子さんが離婚したのは1972年なので、時期も大きくズレているので、宇多田ヒカルの父親が前川清説は完全にデマだと言えます。
宇多田ヒカルの本当の父親は宇多田照實
宇多田ヒカルの本当の父親は、音楽プロデューサーの宇多田照實さん。
⬆︎の写真の男性です。
1982年に藤圭子さんと結婚し、翌83年に宇多田ヒカルさんが誕生しています。
- 名前:宇多田照實(うただ・てるざね)
- 年齢:75歳
- 生年月日:1948年7月21日
- 職業:音楽プロデューサー
- 出身:山口県徳地町(元・山口市)
宇多田照實さんは、宇多田ヒカルさんが所属する『U3MUSIC』の代表取締役を務めています。
『U3MUSIC』は宇多田ヒカルさんのために宇多田照實さんが設立した事務所。
『U3』という名前の通り、宇多田3人家族による、家族経営の事務所です。
母親である藤圭子はすでに亡くなっていますが、現在も宇多田ヒカルさんは『U3MUSIC』での活動を継続しています。
宇多田照實さんが手掛けてきた楽曲はこちら⬇︎
- 作詞
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- 「A RING OF THE AIR」 電気事業連合会 PR事業(作曲:久石譲)
- 「A RAINBOW IN CURVED MUSIC」 東洋タイア トランピオ(作曲:久石譲)
- 「YOU MAKE ME FEEL SO ALIVE」J-WALK 1987年(作曲:和泉常寛)
- 作曲
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- 「酒に酔うほど」藤圭子
- 「男と女」藤圭子
- 「抱いて・・・」藤圭子
宇多田照實さんは16歳で渡米し音楽を学んでいた経歴を持ち、アメリカで生活していた宇多田照實さんとは藤圭子さんがアメリカ滞在中に知り合い結婚しています。
宇多田ヒカルさんが7歳になった頃、家族3人、音楽で世界を目指そうとニューヨークに移住。
宇多田ヒカルさんに本場R&Bのリズム・ネイティブな英語を身につけさせていきます。
ただ、経済的にはまだ苦しく、生活費がなくなると日本に帰国し全国を巡業することで資金を調達。
藤圭子さんの過去のヒット曲で地方公演は大人気だったよそうです。
そうして資金が貯まると再度ニューヨークへ戻るという生活を送っていました。
この頃は宇多田照實さんが藤圭子さんのマネージャーを務め、家族三人で世界進出の夢に向かって幸せな日々を送っていた様です。
1993年、『U3MUSIC』を設立。
1998年には、15歳の宇多田ヒカルさんがついにファーストシングル「Automatic」で衝撃デビューを果たしています。
藤圭子さんと宇多田ヒカルさんという時代を代表する歌姫の影に隠れ、メディア露出も少ない宇多田照實さんですが、音楽プロデューサーとしての才覚はずば抜けていたようです。
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